人間に生まれたことが奇蹟

愛を感じて生きます♡

わたしの感情とエゴ

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おはようございます!

 

いきなりですが!?

 

自分の感情とは何ぞや!?

 

そう考えるのであります。

 

が、そう考えること自体が思考であり

エゴである気がする。

 

感情が何も感じない時はその時なのか

感情とはいつも何かにウキッとなっておるのか

そうでないのか

 

感情が何もないということも幸せなのか

 

「あ、これ食べたい」

「あ、これかわいい」

「あ、これみたい」

 

が出てこない時ってなんぞや!?

 

なんぞやではない。

 

その時なのだ。

 

わたしの感情のままに生きたいと感じた。

なぜなら、わたしの人生だから。

 

舞台を観たいとは思う。

舞台を観ることが好きな人が現れた。

いざ、いろんな舞台を紹介される。

観たいとは思うのだけど

「これ観たい!」

心躍るものがない

 

心躍るものがないと

わたしは正常か?

心と通じ合っているのか?

と不安になる。

 

が、それが思考で合って

エゴだ。

 

心躍らないということは

観たいのはそれではないという答えが出ている。

 

ただそれだけだ。

 

これが食べたいというものがない時はそこにないのだ

 

臓器が休みたいと伝えているのかも知れない

 

食べたいと思ったら

「あ、これ食べたい」と出てくるはずだ

 

無理に食べることはない

 

なんの感情がないと感じているだけで

実は「それではない」ということではないのか

 

自分の感情よりも人の感情に合わせた人生だった

いざ自分の感情で生きていきたいとなったとき

迷子になる

 

わたしは今どう感じているのか

何もない

何もないとはどういった感情なのか

迷子になる

 

でも分かることは

ウキッとなったときは分かる

 

感情がウキウキやワクワクするときは分かる

 

それがないということはそうではないということであろう

 

ウキウキやワクワク以外にも

わたしはお花や緑が好きだ

春になるとお花や新緑を見るたびに

「綺麗だな」と感じる

癒される

 

迷子になっているわけではない

迷子になっているとエゴが伝えているだけだ

 

心躍らないということは

そうではないということだ

 

それを伝えればよい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

違う。

みる角度が違う。

「いい気分で過ごす」から内観するんだ。

 

もちろん、宇宙に間違いや正解はない。

 

ここに綴るはわたしの今である。