人間に生まれたことが奇蹟

愛を感じて生きます♡

叶ってないことが幸せってこともある

 

親愛なるみなさま、こんにちは♡

ちゃんつるです( *´艸`)

 

今日も晴天で、暖かい一日でした~♡

 

昨日、今日と箱根駅伝でしたね(^^)

子供の頃は、なぜ見ているだけなのに

お父さんも親戚のおばちゃんも

涙を流すのか分かりませんでした。

 

それが、ある時、感動して涙を流す自分が登場し

びっくりしたものです(^^)

 

ちなみに、父は、甲子園の開会式でも涙する人でした(^^;)

それだけ、感情豊かな人だったことが分かります(^^)

 

テレビが我が家からなくなって、

箱根駅伝も見ることはなくなりましたけど

2年前、九頭龍神社に参りに行った際、

箱根駅伝の道を通りました。

 

箱根駅伝を見ていたころ

いつかこの道通ってみたいなぁと思っていたので

願いが叶った時でした。

 

実際、通る時は、

その願いを忘れていましたけど、

その道を通る時に涙が出てきたのを

今、思い出しました。

 

久しぶりの山を通る感動と

昔は、箱根駅伝=雪だったので、

この急カーブで転んだり、などなど

通りながら思い出していたのかもしれませんね。

 

 

さて、今日は、

2023年の理想のわたしと題しまして

ノートに書き書きしておりました。

 

美容

健康

ファッション

お金

人間関係

仕事

環境

 

今年使う手帳に有り難いことに記載されておりましたので

考えてみることにしました。

 

2023年1月1日にわたしという飛行機が離陸したとして

どこに着陸するかといった感じでしょうか(^^)

 

その間にいろんな思い込みを手放せていく所存でございます(笑)

 

最後の『環境』に入った時に

パッと出てきたのが

「自分にも地球にも植物、動物にも優しい環境」でした。

その瞬間、涙が出ました。

 

どうして、涙が出たんだろうと思いました。

それと同時に過去の出来事が戻ってきました。

 

わたしの中で、過去の出来事が戻ってきたとき

その時に思い込んでいたことを

手放すタイミングがきたよと教えてくれている

なのだと思っています(^^)

 

例えば、

わたしは、海外に行ってみたいという願いがありながら

叶っていません。

それには、叶ってない方が、

自分にとって幸せであることが分かりました。

(他にも叶っていないワケがありますが、、割愛します)

 

過去の出来事で、

わたしの父は、よくたばこを吸う人でした。

わたしが小学生のころ、毎回ではありませんが、

車の中で、窓を少し開け、煙草を吸い、

吸い終わるとポイっと外に捨てる父が

あまり好きではありませんでした。

 

そんな父でしたが、

駐車スペースに花壇があって、

花壇があるところしか空いてない時、

絶対に花壇のところでは、バックで止めない父でした。

 

実は、このことには、

わたしは気づいておらず、

もうそろそろ娘(わたし)が運転をするだろうという時に

父が話をしました。

 

「どうして、お父さんが花壇のところでは、

 バックして止めないか分かるか?」

 

わたしは、答えることができませんでした。

 

父の答えは、

「なるべくお花に排気ガスがかからないためだよ」

 

優しいではないか、父!!!

と、びっくりしたのを覚えています。

 

父は、運転がうまい人で、駐車も上手でした。

 

確かに、いつもはバックで止めてた方が

出発の左右確認が楽な方をとっているのに

花壇のところでは、頭から駐車して、

注意しながらバックで出発していると

その問いの後、

父から同じことを言われなくても

父の優しさが分かるようになりました。

 

で、

それなら、なぜお主は煙草をポイ捨てしておったのじゃ?

(途中から全くポイ捨てはなくなり、

 煙草も卒業する父でした。)

 

これが、海外旅行と重なっているなと思います。

 

日本は、結構、どこでもトイレは綺麗で

街もゴミがないところはほんとないですよね。

そこが、わたしは好きなのですが、

 

これを別の視点から見てみると、、

ごみを捨てた人は、

今、手に使わなくなったものを持ちたくない

でも、ごみ箱ない、

だから、ば~いと手放す。

すっきり~~

 

つまり、自分の感情に素直に従っています。

 

いい悪いもありませんし、上下もありません。

そのジャッチをしているのは、自分です。

 

♦『ごみを捨てる人が悪い

   ごみを捨てない人がいい』

 

♦『ごみを捨てる人は最低だ

   ごみを捨てない人は最高だ』

 

 

 

お父さんがポイっと捨てたことで

わたしは、同じ車に乗っていることが

恥ずかしいと思っていました。

 

それは、なぜか?

人の目です。

 

結局のところは、自分だったのです。

自分が、どうみられるかが怖かっただけ

だったことに気づきました。

 

それが、知らず知らずのうちに

自分ではなく、環境にと変わっていったのでしょう。

(煙草の葉と紙は土に戻るでしょうが、

 フィルターは戻りませんよね、確か?)

 

恐らく、それで

父のポイ捨てがなくなったのだと思います。

 

なんで、こんな人がいるのかしら?

と他人を疑ってしまうことも

実は、自分の内側が創っているということです(^^)

 

だからといって、

自分を責めないでください♡

その思い込みで自分のことを

今まで守ってくれていたということですから♡