人間に生まれたことが奇蹟

愛を感じて生きます♡

人間だけが自ら命を絶つことが選択できる

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今日のお話はとても長いです(^^)

分けて投稿しようかとも思いましたが、

ゆっくり時間があるとき、

ピンときた方だけ読んでいただけますと幸いです(^^)

 

わたしの経験と気づきを

今から書いていきます!

 

今、わたしは生きています(^^)

 

今から書くことは、

今のわたしには笑って話せるお話です!

 

生きていれば、すべて笑い話になります(^^)

生きてるだけで、まるもうけなのです!

(所ジョージさんの歌にありましたよね!?)

 

このブログは楽しい時間にしたいと

はじめたブログです。

なのですが、今から書くことが、

ずっとおりましたので残しておきます。

 

生きているものの中で、

自分から命を絶つことができるのは

人間だけなのではないのかな?

 

そう感じるわたしです。

 

カマキリさんのメスさんのように、

自分の肉体を子供たちに与えて、

この世を卒業する虫さんもいます。

 

まさに母強しです。

 

昨日、人間は自ら命を絶つことの

価値観が変わった瞬間がありました。

 

わたしは、2回(+1)

自ら死にたいと思った経験があります。

 

わたしの場合です。

2回は「死」を受け入れることができませんでした。

(+1)は「死」を受け入れたつもりでしたが

死にませんでした。

 

1回目は10代後半です。

高校生の時です。

 

高校生なのですが、

それまでの積み重ねで

そうなってしまいましたね。と

今なら分かります。

 

そのところまで書いた方が

深みがでるとは思うのですが(伝え方(笑))

その部分を書くと

小さな本が出来上がりそうなので省略します。

 

それまでの積み重ねは、

小学6年生まで戻ります。

 

思春期ですね(^^)

 

わたしは0歳の時から

母がおりませんでしたので、

その頃の女の子の「どうしたらいいの?」を

自分で紐解いていくことができなかったため

高校生でドッカーンとなったのかなと

今は思います(^^)

 

高校生のときに

恥ずかしい出来事がありました。

みんなに気づかれていないかいるか分からない

わたしだけの恥ずかしいことがありました。

 

それがどんどん大きくなって

実際は起きていないことが

起きていると錯覚し

追い詰められます。

 

実際に起きていないこと。

それは「いじめ」です。

 

その当時は「いじめ」が

テーマの報道が多かったような?

学校内でも「いじめとは」

っぽい時間があったような?

 

そこにまんまとはまってしまった女の子です。

 

実際はいじめられていなかったのです。

恥ずかしかったことが起きてから、

周りの目が気になりすぎて、

被害妄想絶好調になったわたしは、

今のカッコがダサいと思われた?

え?今、冷たい目された?と

それはまぁ焦点が外で

わたしの心と魂と体はばらばらになります。

 

どんどん学校に行きたくなります。

父は「思考を周りの人ではなくて

勉強に向けることは出来んね~?」と

おっしゃる通りのことを言われます(笑)

 

しかし、その時のわたしは、

そんなに父に対して

「わたしの気持ちなんて分かってくれない」

と思い始めます。

 

ですがです。

実際は、いじめは起きていません(^^;)

心配して連絡をくれる子がいました。

遊びに誘ってくれる子がいました。

頑張って学校行ったときには、

ノート書く?貸そうか?と

持ってきてくれる子もいました。

 

仲良しだったひとりの子に

いない存在のように扱われただけです。

その子もまたおびえていたと思います。

周りがわたしに優しい時は声をかけ、

わたしがひとりのときは声をかけない。

 

でも、これも

わたしがわたしとひとつになっていれば

なんの不安も出てこないことなのです。

 

それを小学6年生の時に経験しています。

その時は明らかに仲間外れを経験しています(笑)

ですが、その時のわたしは気が強かったのでしょ(笑)

「やきもちからこんなことして~」と

素晴らしく自信過剰でした(笑)

そのおかげで、番長はおもしろくなかったのでしょう。

1カ月程度で仲間外れは終わります(^^)

その時のわたしの気持ちよかったところは、

話しかけてくれれば、それでOK!と

番長の悪口をいうこともなく

番長を恨むこともなかったのが

あとにひくこともなかったんだと思います。

今でもその番長からは年賀状が届きます(笑)

 

闇の中にはまってしまったわたしは、

死にたいと思い始めます。

 

父親のいるの前で、

わたしはわたしの机にカミソリをあてながら

死にたいと訴えていました。

 

ここで良かったなと思うのは、

それに対して何も言わなかった父に感謝です。

闇の中にいるわたしは何をいわれても

悪くとらえていたと思います。

 

闇から抜け出せるのは、

わたししかいないのですから。

 

それから手首に刃物をもっていくのですが、

そこでわたしは沢山泣きます。

死にたいと思っているのに死ねないのです。

刃物でここを切ると死ねるのに

そうしようとするとものすごく泣くのです。

「死」を受け入れることができませんでした。

本当にわたしはこの世からいなくなると

実感すると怖くて、その先へいけないのです。

 

まさに八方塞がりです。

 

死にたいけど死ねない。

学校には行きたくない。

みんな優しくしてくれるけど、

あの子だけわたしに冷たい。

高校だけは卒業した方がいいと言われる。

 

しんどい。

どうしたらいいの。

どうしたいの。(←はじめて自分に問いかけました)

 

ある日、気分転換に本屋さんにでも行ったのでしょうか?

どこでその本を手に入れたのか記憶がないのですが、

ある本にわたしは助けられます。

それがスピリチャル系の本だったと思います。

 

タイトルも何が書いてあったかも記憶ないんです。

そして不思議なのが、

捨てた記憶がないのに本が今でも行方不明です。

 

あの時読んだ本何だったんだろうと

時々本屋さんで思い出しては、

並んである本をじーーーっと見ていくのですが

「これだ!」という本は、今も現れません。

 

その本を読み始めてから

わたしはわたしへと戻っていきます。

 

そして、明るくなったわたしは動きます。

 

その高校は中退。

中退後、別の学校へ入学。

その高校で卒業することができました(^^)

 

ですが、一瞬わたしの魂と繋がっただけで

わたしはまだエゴの世界にいました。

 

2回目は20代前半です。

 

卒業できた高校で

はじめてお付き合いすることになる

束縛男子でわたしは、また命を絶とうとします。

 

短めに書きます。

 

スカートも履いてはダメだった束縛男子が

ある日別の子と付き合うことになりお別れがきます。

 

初めてのお付き合いが束縛男子だったわたしは

束縛=愛情になってしまいます。

(これはあとにも結構尾をひきます。)

 

彼がいなくなったら

わたしの人生どうなっちゃうのまで

いっちゃたわたしですが、

この頃、モテ気だったわたしは(笑)

別れたことを知った男の子から

告白のオンパレードでした

(過去のことですが自慢入ってます)

 

その中で私好みの男性と

お付き合いするのですが、

好きだから付き合うのではなく

ひとりが嫌だから付き合い始めます。

 

それでも仲良く続くのですが、

ある日、束縛男子が戻ってきます。

 

そして寄りを戻します。

昼ドラのようですね。

ですが、またもや束縛男子は

別の子と付き合うがために

わたしに別れをつたえます。

 

わたしはもっと夜が寝れなくなります。

でも、寂しいから夜が寝れないからが

理由でほかの子と付き合うのはやめよう。

そこは成長した私です!(笑)

 

しかし、ひとりが寂しい。

長い夜はしんどい。

 

そこで精神科に通います。

睡眠薬を飲み始めます。

よく眠れて最高でしたが、

朝起きた時の頭痛はしんどかったです。

 

睡眠薬を手放せなくなります。

ある日、ことが大きく動きます。

 

どうしてそうなったかは

記憶にもう残っていないのですが

これを飲んだら、わたしは死ねると思い、

睡眠薬を大量に飲みます。

 

でも、1錠飲んだころ、

友達から連絡があり、

すぐに会う約束をします。

 

友達曰く電話のわたしは

すでに様子がおかしかったそうで

だから、会う約束をしたと言っていました。

 

会う約束をしたにもかかわらず

わたしはまた睡眠薬を飲み始めます。

 

どのぐらい時間が経っていたのかは覚えていません。

 

待ち合わせをすると

だいたい先にきているわたしがきていない。

そして一向にこないわたし。

心配してくれた友達が頼れる人は束縛男子でした(笑)

束縛男子に連絡をしますが

わたしと連絡がとれません。

 

その頃、わたしはそんな状態で

そうだ、会う約束したんだったと

30分ほどかかる道のりを自ら運転していきます。

そして、無事友達と会います。

 

この先もいろいろとあったのですが、

我にもどり、生き始めます。

 

この時の「死」はいきなり来た感じがします。

死にたいなんて思っていなかったのに

薬で錯覚を起こして死のうとした感じがします。

 

(+1)は、30代前半です。

その「死」からわたしは自分に目を向け始めます。

 

結婚生活の経験をし終えたわたしは(笑)

新たな生活をし始めます。

 

父とも歯車がなかなか合わなくなり、

親戚とも疎遠になります。

(この時、すでに父の認知症は進んでいました。)

 

そんなわたしが同棲し始めたのが

今もお付き合いしている相方さんです。

 

ここも短く書きます(^^)

 

ある日、相方さんがDVになります。

(飛ばしすぎ!?)

DV一歩手間の言葉のDVが合っていますかね。

 

もうそれはそれは聞きたくない言葉を言われます。

ですが(笑)負けず嫌いなわたしは

そこに歯向かいます(笑)

ですが!それを上回る言葉が返ってきます(笑)

 

口喧嘩では自信があったわたしですが(笑)

相方さんにはかないませんでした。

(ふたりの間に戦争が起きています)

 

ある日、口論はエスカレートして

わたしは相方さんに首を絞められます。

(飛ばしすぎですが)

 

その時、本当に殺されると思いました。

でも、これで本当に死ねるとも思いました。

やっと死ねる。

死を受ける前でした。

(これは絞められてる時に感じてます。)

 

その瞬間、相方さんが我にかえります。

 

一瞬にして手の力がなくなり、

壁ドンの状態で絞められていたわたしは

スンっと崩れ落ちます。

 

ドラマのようにゼイゼイ息をすることはなく、

時は静かで。

何もなかったかのように

わたしは寝床へ行き、

掛け布団をかぶりました。

 

相方さんは仕事がありましたので、

少し心配するように

「行ってくるね」と仕事場へ向かいました。

 

その後、わたしは「わたしなにしてるんだろ」と感じました。

 

こんなことして何になるんだろ?

そう思いながら寝ました。

 

そこまでずっとエゴの世界にいたわたしが

最後に連れてきた?エゴはすごい力でした。

エゴを知らなかった私からすると

なんでこんなことが起きているのやらです。

 

すごい力のそのおかげで、

わたしが変わっていきます。

 

死を選択しなかったおかげで、

わたしは変わっていけます。

 

今のわたしも。

 

そして相方さんも(^^)

 

それからある時、

テレビで高橋ジョージさんの離婚騒動が流れていて

それを見ていた相方さんが気づきます。

 

「これ、俺じゃね?!」

 

まさに高橋ジョージさんのように

わたしは何にもできない的な言葉を言っていました。

 

そのことに気づいてくれた相方さんに

その時のわたしは驚きました。

 

その時のわたしはスピリチャルも

瞑想も波動もまだ知らない時ですから(^^)

 

でも今なら分かります。

 

それはわたしが変わり始めたから

周りが変わり始めたことということ。

 

すべてはわたしなのです。

 

波動が変われば、

今のいる人たちはいなくなるのか

心配する人もいますが、

ご縁があれば、一緒にいます。

ご縁がなければ、離れていきます。

ご縁があれば、また会うことがあります。

 

 

波動が変わった先には

新たな出会いがあります(^^)

 

今のわたしはそれも楽しみです♪

 

人間は自ら命を絶つことも選択できるほど

宇宙は無限で自由なのですね。

 

したいことがどんどんと

叶う宇宙でもあるということなのではないでしょうか(^^)

 

一見、暗く考えてしまう自殺ですが、

それもその人の選択なのでしょうね。

 

ひとりひとりの経験で価値観は違います。

 

昨日のわたしが

『人間だけが自ら命を絶つことが選択できる』

の価値観が変わったお話でした(^^)

 

では!