人間に生まれたことが奇蹟

愛を感じて生きます♡

宇宙からの愛と光は毎時送られています

 

今日も雲一つない青空が、今、広がっています(^^)

 

こちら👇昨日書きましたブログでございます。

 

turumakimaki.hatenablog.com

 

モーツァルトの曲を聞いていたら、

突然、今、軽いと感じる瞬間があったと書きました。

 

その後ですが、

ものすごい愛が流れ込んできて、寝る前に泣きました。

 

わたしは、愛を受け取ることが、

下手な子だったなと思います。

 

愛がなければ、

わたしは、今、ここに存在していないのに。

 

愛があるから、

わたしは、今、ここに存在しているのに。

 

全ての物質に愛はあるのに、

 

いま、ここに書いている時も涙が出てしまう。

 

涙を拭くティッシュさえも愛があって

タオル持ってこようかなと思うタオルにも愛があって

持ってこようかなの思考にも愛はあって

愛に溢れているのに

わたしは、受け取ることが不得意で。

どう不得意か、

何かをしてくれることが愛で

何かをすることが愛で

何かをくれることが愛で

何かをあげることが愛。

それは、目に見えるものでしかない

そう思っていました。

 

わたしは、0歳の時から母がいませんでした。

いませんでしたが、たくさんの人の愛情で、

どんどん成長して生きました。

 

でも、良かれと思って、

わたしに言った言葉が、

わたしはショックだったのです。

その時は、ショックだとも気づいていません。

そうか、そうなんだと

素直にその言葉を受け取りました。

 

その言葉とは、わたしの母に対する

悪口とまではいいませんが、

あまり世間的にいいと感じない部分でした。

 

おばあちゃんからは、

お母さんからこんなことを言われた。

わたしは、ただこうしてほしかっただけなのに。

 

親戚のおばさんからは、

母親が普通なら引き取るのに

出ていったあと、わたしに会おうともしなかった。

 

そっか、そうなんだ。

 

小学4年生辺りから、時々話を聞くことになりました。

 

いい子に育てられたわたしは、

「そんなこと言わないで、

 わたしを生んでくれた人なのに。」

そう感じることもありませんでした。

 

そっか、そんな母だったんだ。

 

人に流されてしまう人は、ある意味素直です(^^)

でも、自分が傷ついていることに

気づかないことがあります。

 

よかったね~

母親の方にいったとて

いじめられたかもしれん

おばあちゃんに感謝せないかんよ~

 

ほんと、感謝せないかんのです。

 

でも、感謝ができなくなります。

 

沢山の愛に包まれているのに、

ハンバーグをわたしのために買ってきてくれたり

誕生日に山崎のショートケーキを買ってきてくれたり

おばあちゃんなりに

わたしが喜びそうなものを考えてくれていたのに。

 

親戚のおばさんたちからも

毎年、お祝いにお金を頂きました。

 

でも、それと同時に

おばあちゃんのこと、よろしくね~の

言葉も添えて。

 

わたしは、おばあちゃんがいるから

みんなから優しくされるんだ。

 

おばあちゃんがいなかったら

わたしは、どうでもいいんだと

受け取ってしまいます。

 

わたしが、女の子でよかったよ。

男の子やったら、また違ったよね。

おばあちゃんをよろしくね~

お父さんをよろしくね~

 

わたしって、なんなんだろう。

 

おばあちゃんが、2度倒れます。

その時いたのは、私だけでしたので2度助けます。

 

わたしがいてよかったよ。

母さん、感謝せな~

 

でも、おばあちゃんから

「ありがとう」の言葉はありませんでした。

 

そこが引っかかります。

 

おかあさん、そっくりやもん。

おばあちゃんが、よう言ってたと

おばさんから聞きます。

 

そりゃ、母ですから。

言葉にはしませんでしたが、開き直ります。

 

わたしは、会ったこともない

母を守ろうとします。

心の中で。

 

おばあちゃんが体調を崩していくのですが、

その時のわたしは、

どうせ優しくしても

また当たり前と思うんでしょと

辛そうなおばあちゃんに笑顔なしで対応します。

 

心が完全に閉じてしまいました。

 

そこからトントン拍子に流れがおかしくなります。

ですが、おかしいとは感じていません。

どっぷり、浸かっていました。

 

とんとん拍子に流れが止まってしまうと

わたしは、わたしなんていなくなればいいだ。

そう思う人でした。

 

でも、同じ状況で、

あんたなんかいなければ、わたしは幸せなのに。

と、思ってしまう人もいるでしょう。

 

心が閉じてしまうと光が届かなくなります。

 

自分を殺す方へと流れていきます。

他人を殺す方へと流れていきます。

 

それが、全ての解決策だと思ってしまいます。

 

今なら、分かります。

 

そんな時でも、光はあります。愛はあります。

 

メッセージは送り続けています。

 

すべて、自分のために、

毎時愛あるメッセージは届けられています。

 

昔の携帯は、アンテナをひょこんと出して、

電波をキャッチしていたのですが、

そのアンテナをどっこらしょと

自分で仕舞う感じです。

電波をいつでも流れています。

 

テレビもラジオも

見たい聞きたいチャンネルに合わせて楽しみます。

合っていないと、テレビは、ザァザァの画面で

(今は自動なので、そこを見ることはないですかね(笑))

ラジオもざぁーだったり、ジィーだったり聞こえません。

でも、その電波はいつでも流れています。

 

何かを守りたくて、閉ざしてしまった心。

守りたいものを手放す。

 

わたしは、会った事もない母を守りたかった。

 

ようっと視野広げてごらんなさい(^^)

 

母は母なりに、自分を守っているよ。

 

だから、今、わたしのところにいないんだよ。

勇敢じゃん!

 

わたしがいるからって、そこにとどまらず、

ここだとわたしがわたしじゃなくなると感じたから、

母は母の人生を生きたのさ!

 

素敵じゃん!わたしの母よ!

 

そんな、母から生まれたことに感謝だね!

 

そして、育ててくれたみんなにも感謝だね!

 

あの時は、母の悪口のように感じたけどさ、

それは、あんた幸せもんだよ~って、

伝える伝え方が、少しばかりズレていただけさ!

 

そして、ズレたまま、素直に受け取った

わたしが、そこにいたのさ(^^)

 

ズレたまま受け取ってくれたわたしがいたから

今、このブログでメッセージを送ることが出来る。

 

神さまは、すべて叶えている。

そこに良い悪いもない。

すべて叶えている。

 

すべて叶えているのは、自分です。

 

自分がどの視点からみて、

どう感んじて、どう受け取るか。

 

では!

 

 

 

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