人間に生まれたことが奇蹟

愛を感じて生きます♡

外から内に変えるだけで価値観が変わる

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今日の雲はとても綺麗です。

少し青空の色があって

白い厚い雲が高い位置にあって

グレーの薄い雲がゆっくりと下の方を通過しています。

 

雲が秋空に変わってきていますね。

 

九州に帰ったときは、

トンボが飛んでいました!

 

今年はトンボが飛ぶのが早いから

冬は寒くなるかもしてないねと

親戚のおばちゃんが話していましたよ(^^)

 

わたしが住んでる東京では、

時々、蝉さんが鳴いています。

 

縦長い日本です。

場所でこんなにも違うのか

そう感じることができた夏です!

 

今日のブログは、

怖いと感じてしまう人もいると思いますが、

わたしの体験談と感じたことを

残しておきます。

 

今の日本は、

死後24時間待って火葬します。

 

火葬が終わると故人と親しかった人たちで

遺骨を骨壺へ入れていきます。

(地方によって違うかもしれません。)

 

散骨を選択されている方は、

違ったやり方だと思います。

 

わたしの親戚にもなくなったら、

散骨にしてほしいと選択している人がいます。

亡骸だから子供達に後々、

世話する時間を与えたくはないそうです。

 

葬儀社によっては、

散骨を選択できるところも

増えているのでないかなと思います。

今回、父の葬儀をお願いした

葬儀社にもありました。

 

勝手にまくことは出来ないとおもいますので、

散骨を選択される方は

調べてみるといいかもしれませんね。

 

父は、自分が死んだ後のことを

何も伝えていませんでいたので、

わたしの選択でお別れをしました。

 

葬儀社にはいろんなプランがあります。

プランを選んだ方がお得ですよと

なっているのですが、

わたしは、仏壇の上に飾る

大きな写真はいりませんし、

骨壺にした後、

四十九日、家に設置する

土台もいりませんでしたので、

プランではなく、

ひとつひとつ必要な物を選択しました。

 

おばあちゃんの時は、

自分が死んだ後は、

こうしてほしいというのを

わたしが小学生のころから言われていました(笑)

 

心の中で、うるさいな!と

死んでもないのに死んだ先の話をされるのが

嫌だった私ですが、

そのおかげで脳に刻み込まれた

おばあちゃんの口頭での遺書は、

おばあちゃんが亡くなった後、

ちゃんと残っており、

おばあちゃんが願っていた通りに

お別れできたのではないかなと感じます。

(亡くなった後に着る和装はこれでお願い!やお寺さんにはこれをあげてね!となくなった後の名前「戒名」の置き場所。質素でいいからね!←ここだけは却下(笑)お花が大好きなおばあちゃんでしたので、豪華に飾ったお花を選択しました(わたしのエゴ笑)(^^))

 

自分はこうやって死んでいきたい。

(こちらもよく話していました汗)

自分が死んだ後までイメージしていた

おばあちゃんは、わたしの尊敬の人です。

 

少し話しがそれました。

火葬が終わると

みんなで遺骨を骨壺に入れていきます。

まずは、喪主と故人に一番近しい人が、

お箸を持って、

足の方の骨をひとつ一緒にお箸で持って

骨壺に入れます。

(地域によって仕方が違うと思います。)

 

ここで、食事をするときの

嫌われるお箸作法がやってきます。

これは書き始めると長くなるので、

気になった方は調べてみてください(^ ^)

 

真が強かった人は、

頭の骨が綺麗に残ると

聞いたことがありました。

おばあちゃんはそれはそれは

綺麗に残っていました。

 

お父さんの意思で、

全ての骨をお墓に連れていきますでしたので、

(お父さんのエゴ笑)

1番大きな骨壷にスポッと綺麗に

火葬場の方が入れてくださいました。

 

たぶん、本来火葬場の方は手伝いません。

ここまで綺麗に残るのは珍しいです。という

その時の火葬場の方と父の気持ちが

重なったのでしょう。

その方のおかげで

崩れることなく骨壷にあります。

 

骨壷の中に入れていく骨の順番は

生きている人間が座禅を組んだ状態に

入れていきます。

 

足から順々に喉仏まで来たとき、

喪主の方が喉仏を骨壷入れます。

 

わたしが喪主を務めたので、

直で見ることが出来ました。

その喉仏は本当に小さな仏様が

坐禅を組んだような骨の形をしています。

 

チャクラでいうと

第5チャクラ 創造性ですね。

 

わたしは小さい時から

「なぜ?」と思う人でした。

 

なぜ、瞑想する時、

坐禅をする時、

あぐら(結跏趺坐)を組むのかと

思っていました。

 

わたしの勝手ですが、

喉仏からきてるのかなぁと感じています(^ ^)

 

喉仏を入れた後は、

頭部の骨を入れて終わりとなります。

 

初めて見た時の火葬が

おばあちゃんでしたので、

綺麗に残った頭部が印象的でしたが、

父の頭部はその印象とは違っていました。

 

父の火葬が終わった後、

火葬の経験がわたしよりも多い親戚の方が

火力が強かったと話していました(^ ^)

 

確かに父の時は、タオルで涙ではなく、

汗を拭きながら、骨壷へと移してました(^ ^)

 

なるほど(^^)

その時の火葬場状況もあるのかと

そのおばちゃんのおかげで

気づくことができた時でもありました。

 

おばあちゃんが亡くなったのは、

わたしが19歳。

そして、わたし39歳で父は亡くなりました。

 

10年の間で

焦点を外から内に向ける人生に変えて

『死』に対しても感じ方が変わりました(^ ^)

 

そのことを経験できたこと、感謝します。

 

こんなに早くに家族がいなくなるとは

想像していなかったですが、

(といつつ分かっていたのかもしれませんね)

不思議と寂しさはありません。

 

これもまた、おばあちゃんのときは、

思い出すとよく泣いていました。

 

申し訳ない気持ち

悲しい気持ちになっていました。

 

でも、その感情も

そこを材料と使っているだけで

なぜ泣くのかの根っこは

同じところからでした。

 

それを知ってからは、

感謝に変わり、

思い出すたびに感謝しています。

 

仕事中でもありました。

 

突然なんだか重く感じて

耳鳴りではない

耳の奥の重たさを感じたとき

わたしは何かとくっつけて

今起きていないことと今起きていることを

結びつけようとしていました。

 

実際は、今、気分が重い。

ただそれだけなのに。

 

今回そうなりかけたわたしに

気づけたことに感謝です。

 

気分が重いときは、

感じきればいいだけのこと。(受け入れる)

 

何かの物事にくっつけて

頭の中を右往左往する必要はないのです。

 

「いまに在る」です(^ ^)

 

わたしの家族は、

ふたりとも宇宙へと戻っていきました。

 

ですが、

『目覚め』

『いまに在る』

『創造』

これってどういうこと?から始まり

どんどん腑に落ちてきて、

ベストタイミングのお別れだったと感じます。

 

父が亡くなる半年前に

わたしは、いずれ認知症さえも治る日がくる!

そう感じた時がありました(^ ^)

それは、薬とかではない

自然の『気』で治る!

 

たぶんでしか分からないのですが、

その気持ちは父に伝わったと思います(笑)

そう感じて間もなく、

コロナにはかかっていない

ただの風邪をひき、

肺炎となり亡くなりました。

認知症以外、臓器は元気でしたので、

あっという間でびっくりでした。

 

待っとてよ、お父さん!

治したるけんね!

そう心で言った後のことでしたので、

父は、いやいやそれは望んでおらんわ!

そうベストアンサーを出されたような

そそくさと肉体を離れたような

そんな気がしました(笑)

 

ありがとう、お父さん。

感謝します。